Million Dollar Baby [Original Motion Picture Soundtrack] |
映画本編はアカデミー賞作品賞をはじめとして4部門受賞で、内容については説明不要だろう。音楽もクリント・イーストウッドが制作しており驚嘆に値する。あのメインテーマの美しい響きに身をゆだねるとき、美しくそして切ないこの映画と一体になれる気がする。 このようなすばらしいサウンドトラックが国内版の半額以下で入手できるのだから、映画に感動したすべての人が購入すべきだろう。 |
オリジナル・サウンドトラック「ミリオンダラー・ベイビー」 |
アカデミー賞作品賞をはじめ、主要4部門受賞で話題のこの映画。音楽までもクリント・イーストウッドが担当したことでも注目されているが、イーストウッドはこれまでも「許されざる者」や最近の自作のメインテーマはほとんど作曲していたが、“音楽:クリント・イーストウッド”という名義では初めてじゃないかな。盟友レニー・ニーハウスはコンポーザーとして参加しているはずし、息子のカイルくんも数曲、作曲・演奏に参加していて、イーストウッドをナイス・サポートしている。映画を観終わると、様々な名シーンとともに、メインテーマが耳から離れない。久しぶりのサントラ・リリースで、ファンの方々もお喜びでしょう。当然、ボクもその1人です! それにしても今年75歳、老いてなお進化し続けるイーストウッド御大、恐るべし! |
ミリオンダラー・ベイビー [DVD] |
腕はいいが、あまり流行らないオンボロボクシングジムを経営する老トレーナー。
せっかく、いい選手が育ってもあまりにも慎重過ぎて弟子が待ち切れず逃げ出してしまうこともしばしば。 そんなボクシングジムだから結構風変りな奴が揃っていて、その中でも31歳の中年女性ボクサーはやたらと熱心だった。 最初は「女なんかに・・・・」と乗り気でなかった老トレーナーも彼女の熱意に根負けする形で教え込むことになる。結果、彼女の素質は開花する。 次々と強敵を打ち倒して、目指すはチャンピオンとのタイトル戦。 勝利を確信してリングに上がるのだが・・・・・・。 話の雰囲気が室内ばかりということもあって、サクセス・ストーリーにしては 「なんか暗めな雰囲気だな」と感じていたら、あなたはかなり勘がいい!。 最初の頃は階段を1歩1歩駆け上がるかようでありながら、 絶頂期は正に「ジェット・コースターが滑り降りる」ための準備期間に過ぎなかった。 栄冠を勝ち取る寸前から奈落の底へ転がり落ちるかのような運命は 「一体、どこの誰が与える試練」なのか? 最愛の弟子と苦しみを分かち合い、一生涯掛けて重い十字架を背負う決断をした老トレーナーを責めるべき瞳を「果たして誰が持ち得るのか?」 |
ミリオンダラー・ベイビー 3-Disc アワード・エディション [DVD] |
「許されざる者」、「ミスティックリバー」、本作品、そして「硫黄島からの手紙」。C・イーストウッドの作品を見続けていて、最近になってようやく気づいたことがある。この4作品を見終わると、必ずといっていいほど、どこか釈然としない中途半端な感情に襲われるのだ。善と悪のどちらかに感情移入(悪の方に肩入れする人はあまりいないと思うが)しようとすると、必ずそれを拒否させるシークエンスをイーストウッドは必ず最後にもってくる。根がひねくれ者の自分は、今までその観客の思い込みを拒絶する部分にのみ過剰に反応してしまい、彼の作品をイマイチ好きになることができなかった。
しかし、「硫黄島からの手紙」が神経質なほど歴史的中立性を気にして作られていることがわかってからというもの、自分のC・イーストウッドに対する見方が少し変わってきた。人間には善も悪もない。第3者の勝手な思い込みによって、善と悪のどちらかに加担する行為ほど危険かつ馬鹿げたことはない。監督はあくまでも中立的な立場から、善と悪の両面を観客に見せ、判断を観客にゆだねているのだ。 本作品においても、苦労人女ボクサー=マギー(H・スワンク)と老トレーナー=フランキー(C・イーストウッド)に感情移入してしまい、判定を優位にしたがる審判(観客)が圧倒的に多いにちがいない。しかし、意地の悪い監督はとっておきのラストシーンを見せることによって、「ちょっと待てよ。それでいいわけ」という疑問を観客に起こさせる。この中立的立場に観客を引き戻すことこそが、イーストウッドの映画作りにおける真の狙いのような気がしてならない。一見単純そうな作品の中に永久に答えの出ない重い命題を隠しているC・イーストウッドは、やはり“ダーティ”な男である。 |
ミリオンダラー・ベイビー (ハヤカワ文庫NV) |
どんなスポーツにも、その競技特有の美学がある。 特に、ボクシングの持つ、最高に簡潔なまでに切り詰めた中にある戦いの美学は、あまりにも肉体的であるので、実際その世界にいたものでなければ語れないのかもしれない(あるいは、すべてのスポーツはそうなのかもしれないが)。そんな生の言葉がこの本には溢れている。 作者は、前書きにあるように、中年とも言える年齢になってからボクシング界に足を踏み入れ、観客としてではなく実際のファイターとしてその世界を肌で感じた。その中で見てきたものを濃縮し語ったのが、これらの短篇群であり、本を出版したときには既に70歳になっていた。その2年後には逝去しているのだが、まさかその中の1篇がクリント・イーストウッドによって映画化され、主要各賞でオスカーを独占することなど夢にも思わなかっただろう。 その映画化により、この本も多くの読者に読まれることになるだろうか(映画の方は、原作が短篇なので、物足りなく感じさせることはなく、逆に他の短篇のエピソードなど様々なエピソードで肉付けがされた秀逸な映画化となっている)。ありきたりな言葉になってしまうが、人間の尊厳を感じさせる素晴らしい物語たちである。同時に、敗北し転落していく姿を描いた悲しい物語でもある。ボクシングが人生のメタファーたり得るのは、すべてのものが紙一重の中に同時に存在するからなのだろう。 映画に胸打たれたならぜひ読んでいただきたい。ちなみにこの本、以前同じ出版社から「テン・カウント」という題で出ていた短編集が改題され文庫化されたものである。 |
映画で学ぶおしゃれな英語―「タイタニック」から「ミリオンダラー・ベイビー」まで |
映画を観て泣いたり笑ったり、感性に新しい刺激を与えることは心の健康として必要だと思います。
また、日本語では表現できないネイティブな英語にはすてきな表現が隠されています。以前、映画館で観たときに俳優がしゃべっていたセリフが、この本を読んで“あぁ、そういうお洒落なことを言っていたのか!”と再発見させられ、ビデオやさんに走らされました。もちろん言語は英語で。 ただ私は白黒の古い映画も好きなので、著者の次の企画に期待します。 |