ほうしゅん Mo☆Vie モビー @ 小樽Mo☆Vie 「小樽雪あかりの路」
日本合唱曲全集「雨」多田武彦作品集 |
数少ない、男声合唱のみを扱ったCDです。
アカペラ専門作曲家:多田氏の作品には抒情的作品が多く、 男声合唱を経験した者であれば、多田氏の名を知らぬ者は恐らくいないでしょう。 日本合唱曲全集の中で、このCDが最も良く売れていたのもうなづけます。 このCDの目玉は、男声合唱組曲「雨」の中の終曲:雨です。 平易な言葉、平易な旋律、平易な和声の中に、 底の知れない人生への「問い」が込められています。 また、演奏団体は知る人ぞ知る、男声合唱の名門、京都産業大学グリークラブです。 この団体の歌った雨に勝る演奏が今後現れることは無いでしょう。 この曲の中で独唱を担当する、尾形光雄氏の声がまた素晴らしい。 他にも男声合唱の真髄とも言うべき作品がずらりと並んでいます。 どれも日本人の心を打つような作品ばかり。是非お聴き下さい。 |
多田武彦「雨・雪明りの路」 |
畑中良輔指揮慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団と福永陽一郎指揮関西学院グリークラブによって演奏される男声合唱組曲『雪明りの路』を聞き比べ出来ることは嬉しい限りです。
大学の男声合唱団がメンバーの減少により往年の輝きを見ることが出来なくなった現在、このような過去の名演奏をたどることは日本の男声合唱の歩みをたどることと同意義を見出すことになりそうです。 御存知のように東の代表慶應ワグネルと西の代表関学グリーの競演です。ステージを数多く聴いてきたファンにとってこれらの演奏は、30年以上前の収録ではありますが、往年の素晴らしい演奏を追確認できます。厳密に聴きますと、微妙な和音の狂いも見うけられますが、当時の学生諸君の思いが如実に伝わってきます。 「春を待つ」の温かい響き、「月夜を歩く」の密集和音のハモリ、「雪夜」の終盤の美しさ、名曲揃いですね。 「雨」は、吉村信良指揮京都産業大学グリークラブと北村協一指揮立教大学グリークラブによる演奏の競演です。この終曲「雨」は多田武彦による数多の作品の中でも一番美しい趣を携えた曲でしょう。八木重吉の簡潔な詩にとても美しいメロディとハーモニーを充てています。男声合唱の真髄とも言えるハモリを体感できる曲なのは間違いありません。尾形光雄さんのテノールソロは感涙ものでした。 |
氾濫 [DVD] |
名匠増村保造監督と若尾文子のゴールデンコンビの作品だが,主役はあくまで佐分利信であり,この群像劇を彩る大映の名優たちである。
人間の欲というのは,こうも汚く際限ないものかというのを,増村監督一流のエネルギッシュでどぎつい演出でグイグイ観るものを物語のなかに引っ張って行く。主人公佐分利信を狂言廻しに,出てくる人間殆ど全てが欲望丸出しの汚い人間ばかりで,まともな人間は若い科学者(川崎敬三)の元恋人ぐらいである。 また,この若い科学者役の川崎敬三が金銭欲,出世欲,色欲とあらゆる欲に忠実に自分を変えてゆく様は,この役にぴったりで,裏主人公とうい感じで良くできている。 重厚な演技の佐分利信,不安定な妻を見事演じる沢村貞子,若く魅力的な若尾文子,変幻自在な船越英二,妖艶な左幸子とこの群像劇を支えているのは,この出演者があってこそであるのが強く分かる。 そのほかにも,佐分利信の科学者仲間の多々良純のとぼけた味わいや,お花の先生の伊藤雄之助の芸達者ぶりも楽しませてくれる。 物語の内容は,色と欲と名誉に翻弄された人間の愚かさを描いているが,何十年前から本質的に何も変わっていないのが,この映画を観ると良く分かる。映画のなかに出てくる日常の風俗は変わっても,人間の欲は際限なく氾濫していることは,増村監督はこの映画の普遍性で証明して見せている。 |
チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫) |
有名な伊藤整訳である。 伊藤整は、エゴイズムの克服ということをその文学者としての課題のひとつに挙げた人物であり、それを実現するひとつの道として、ロレンスの文学思想につよく関心を抱いていたことはよく知られている。 そして、同時に、わたくしは訳者によるチャタレイ裁判の記録である「裁判」(上下)を強く推したい。佐藤優「国家の罠」へ繋がる日本の法曹界の問題点についての洞察が深まることと思う。 |
変容 (岩波文庫) |
老年の性を扱った作品と評されることが多いが、むしろこれまでの人生、記憶、時間を出会う女性によって回顧し精神的営みを総括している主題だと思う。作家は処女作に向かって成熟する、といわれる。「変容」は処女詩集「雪明りの道」と密接な関係にあるとおしなべて指摘されている。そっと大切にしていたものを取り出して最後に慈しんでいる作品ということであろうか。 また、相手となる女性も単に回想の道具としているのではなく、主人公の日本画家と渡り合う内面、キャリア(それも芸術家であること)をもつことが要請されている。女性に対しても人格を要請しているということだ。 渡辺淳一の諸作品は「変容」を敷衍し、大衆化したものではないか。中島義道は立原正秋と伊藤整を並べて評していたので「残りの雪」を読んでみた。しかし、「変容」は画家を主人公にしている。金に飽かして骨董をやっていやみに芸事をひけらかす「残りの雪」とは大きく違うのである。「変容」の主人公にすれば「所詮(芸術に携わった人以外である)君の味わう人生こんなものだった」と(すごいことであるが)いいたくなるだろう。もちろん登場する女性も違う。「残りの雪」ではなぜ魅力的なのかよくわからないまま、誉められて進んでいくが「変容」の女性には生きてきた背景が書き込まれている。 |
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